ある日曜日の朝、なんとなくNHKを観ていると「死の体験旅行」というちょっと変わったワークショップが放送されていた。
ワークショップでは死に至るまでのシュミレーションを行い、その中で自分の大切にしていたものは次々と失われていく。
参加した年配のアナウンサーは、失うものの価値の大きさに驚きショックを受けているように見えた。
今後の生活のあり方について悩んでいた矢先であったためか、放送の終了を待たずして迷うことなく申し込みを済ませてしまった。
最も自宅から近いワークショップの場所は広島県の本覚寺だった。
メールを受け取ったとおりに本堂に入ると、ワークショップを進行する住職が丁寧に出迎えてくださった。
今回の参加者は5名。
自分も含めて県外からの参加者が多かった。
ワークショップは個別に用意された席で死の体験旅行を体験し、そのあと参加者で輪になり住職の進行のもと体験を通じて得られた気づきについて話し合ういう流れだ。
配られたカードに自分の大切なことを書き込み、住職の進行や指示に従い取捨選択しながら捨てていく。
体験する状況はリアリティがあり、何を捨てるのか決めることができずに時間を要する場面もあった。
背周囲には他の参加者が涙ぐんでいる気配を感じる。
死の直前、最後に残ったカードは全く想定していなかったものだった。
体験の後の他の参加者との交流では、それぞれが参加した理由や体験を通して考えたことを話した。
普段、死に関してどのようなことを感じ考えているのか、他者と話し合う機会はほとんどない。
見ず知らずの人たちと死を体験して感じたことを話し合うという非日常の中、避けることができない死について話し合う行為を通じ、自分以外のヒトも悩みを抱えていることに安堵を感じた。
死を通じて何を考えどのような想いが溢れて出てきたのか。
他者のそれを聞くことで自分の価値観を上書きせざるを得なかった。
他の人の話を聞きながら、死ぬことは大切なことを手放すことで、手放してみてはじめてわかることがあるということを考えた。
体験の中で最初に自分が捨てたものは、住居以外のモノと仕事だった。そして、最後まで残ったのは家族だった。
そして自分はいま毎日のほとんどの時間を、最初に捨てしまってもいいと思った仕事に費やしている。
この実生活における矛盾について、これから少しずつ考えていきたい。